「日本のパンの歴史」
■パンの名前の由来
「蒸餅」、「麦餅」、「麦麺」、「麺包」言われていました。
現代日本語ではポルトガル語のパン(pao)に由来する「パン」という語を用い、
片仮名表記するのが一般的となりました。
フランス語(pain)やスペイン語(pan)でもパンという。
■どうやって日本にパンが入ってきたのか?
日本には、戦国時代(安土桃山時代)にポルトガルの宣教師によって、鉄砲やキリスト教とと
もにパンが伝えられたといわれています。
イエズス会のフランシスコ・ザビエルらが、日本でもパンを作りを始めましたが、
キリスト教が禁じられてからは、長崎などで西洋人のために細々と作られていただけで、
江戸時代に日本人がパンを食べたという記録はほとんどありません。
江戸時代の料理書にパンの製法が著されているが、これは現在の中国における蒸しパンに
近い製法でした。
徳川幕府を訪れたオランダからの使節団にもこの種のパンが提供されたとされる。
1718年発行の『御前菓子秘伝抄』には、酵母菌を使ったパンの製法が記載されている。
酵母菌の種として甘酒を使うという本格的なものであるが、実際に製造されたという記録はあ
りません。
日本人が、最初にパンを焼いたのは江戸時代の末、1840年に中国で起こったアヘン戦争が
きっかけでした。
徳川幕府は、日本にも外国軍が攻めてくることを恐れ、兵糧としてパンを作らせました。
米飯では炊くときの煙が敵方にとって格好の標的になりかねません。
それに比べ、固いパンは、保存性と携帯性の面ですぐれていると考えたからです。
この非常食は活用されませんでした。
1854年に鎖国が解かれると、横浜、神戸など港町を中心に、パン作りが広がりました。
日本人にパンが広く受け入れられるのは明治時代のあんパンの発明からである。
軍隊ではその場で調理する必要のないパンは常食として食べられていましたが、
一般に普及したのは戦後GHQによる小麦粉の援助・学校給食によるパン食の開始以降です
。
日本においては、特に惣菜パンや菓子パンが発達しています。









